神戸事件少年A検事供述書

[これと同内容のものが文藝春秋1998年3月号に「少年A 犯罪の全貌」と題して掲載された。以下は、改行を大幅に略したほかは、ほぼ原文の表現をとどめてある]

[○付き数字は文字化けするので、「まる1」「まる2」のように表記した]

供述調書4

平成九年七月十日付

 一 前回に続いて申し上げます。僕は、僕がB君を殺したことが分からないようにするため、警察の捜査を撹乱しようと考え、B君の首を僕が通学しているT中学校の正門前に置こうと思いました。そのため、平成九年五月二六日昼過ぎ頃、B君の首を置いていた入角ノ池からB君の首を家へ持って帰り、家の風呂場でB君の首を洗ったりした後、その首を黒色ビニール袋に入れて、一旦は僕の部屋の天井裏に隠したのです。B君の首を天井裏に隠した後、僕は、僕の部屋のベッドの上に横になりました。正確な時間は覚えていませんが、その日僕が、入角ノ池へ行くために、家を出てから最後にB君の首を天井裏に隠すまでに掛かった時間は、約一時間位だったと思います。B君の首を天井裏に隠した僕は、ベッドに横たわりながら色々考えました。僕は、B君の首を学校の正門前に置くだけでは、警察の捜査を撹乱出来るかどうか心配になりました。それで、僕は、念には念をという意味で、更に捜査を撹乱するためには、どんな方法を採ったらいいかと考えました。でも、すぐには良い方法は浮かびませんでした。そして、いつ頃思い付いたかまでは、はっきり覚えていませんが、とにかくその日の夜までの間に、B君の首に何かを添えたらいいと思いました。首に何かを添えると考えた時、B君の口が開いているので、添える物は、B君の口にくわえさせようと考えました。それで、どんな物をB君の口にくわえさせようかと考えていくと、口にくわえさせるのならば、手紙が一番だと思いました。「偽りの犯人像」を表現するには、手紙が一番表現し易いと思ったからでした。その日のタ食は、家族と一緒に食べたと思いますが、はっきりしません。

 二 夜になり、僕は、B君の口にくわえさせる手紙に、どんなことを書こうかと、自分の部屋で考えました。僕は、これまで読んだ本の中から、覚えている言葉や自分で頭に浮かんだ文章等を思い浮かべたりしましたが、更にインパクトのある表現が要ると思いました。そこで、僕の部屋にあったマンガの本の内「瑪羅門の家族」というマンガの本を見ると、その第三巻の目次のところに「積年の大怨に灼熱の裁きを」という文章が目に入りました。僕は、この文章を見て「積年の大怨」ということになれば、長年積もり積もった怨みを持った者の犯行だと読んだ人間は思うだろうし、そうなれば、ある程度歳のいった人間が犯人だと思われるのではないかと考えたので、この文章を使おうと思いました。ただ「灼熱の裁きを」というところは、別にB君の頭を焼いた訳ではないので、イメージに合わないと思い、むしろ血を連想するのがイメージに合うと思ったので「流血の裁きを」という表現にしようと考えました。そして、僕が考えた文章は、今でも覚えています。僕が書いた文章については、赤のペンと黒のペンで書きましたので、それぞれのぺンを貸してくれれば、僕が書いたとおりに再現することが出来ます。
〔この時本職は、被疑少年に対し、白紙と赤のサインペン、黒のサインペンを渡したところ、任意に文章を作成したので、それを受け取り、資料一として、本調書末尾に添付することとした。〕
[資料1]
  さあゲームの始まりです

  愚鈍な警察諸君
  ボクを止めてみたまえ
  ボクは殺しが愉快でたまらない
  人の死が見たくて見たくてしょうがない
  汚い野菜共には死の制裁を
  積年の大恐に流血の裁きを
     SHOOLL KILL
     学校殺死の酒鬼薔薇

 今書いた様に、B君の口にくわえさせる文章を書きました。なお、この文章の中で「愚鈍な」という文字は、僕が別の本で読んで覚えていた文字であり「積年の大恐に流血の裁き」をというところは、先程話したように、「瑪羅門の家族」というマンガの本の第三巻の目次のところをそのまま書き写したのです。今書いた文章だと「恐」という字を書きましたが、僕自身、この時はそのマンガの本を見ながら書いたものであり、僕が覚えていた字ではなかったので、間違っているかもしれません。
   問 「汚い野菜共」という表現は、どういうところから考えたのか。
   答 これは、僕自身の言葉です。僕は、小さい頃、親に「運動会で緊張するなら、周りの人間を野菜と思ったらいいよ」と言われていました。それで、僕は、周りの人間が「野菜」に見えてしまうのです。
 その他、ほとんどの文章は、僕が頭で考えたものであり、テレビで言っているような、何か小説から引っぱり出したといったものではありませんでした。この手紙には、マークを書いていますが、これは僕のマークであり、ナチスドイツの逆卍をヒントにしたのです。ナチスドイツの逆卍については、テレビでも見たことがあるし、僕自身ヒットラーの「我が闘争」という本を読んでいました。この僕のマークは、小学校の頃に作ったのです。英語で SHOOLL KILLと書きましたが、その時僕は、これでスクールキラーと呼ぶものだと思っていたので、この様に書いたのです。この手紙を書いた用紙は、部屋にあったスケッチブックに書きました。この手紙を包んだ紙も、同じスケッチブックの紙でした。包んだ紙の表の面には酒鬼薔薇聖斗と赤いペンで書き、その名前の下に同じマークを黒のペンで書きました。裏の面には、何も書きませんでした。「酒鬼薔薇聖斗」とは、別の機会で話したように、僕が小学校五、六年生の頃に、悪い方の僕自身に僕が付けた名前でした。「酒鬼薔薇聖斗」についても、マークを作っていました。そのマークは「Φ」でした。
   問 酒鬼薔薇聖斗のマークもあると言いながら、何故この時は君のマークを付けたのか。
   答 分かりません。これらの文章は、五月二六日の夜、僕の部屋で一気に書きました。
 なお、この文章等を書くのに利用した「スケッチブック」や「瑪羅門の家族」の第三巻は、後で燃やしたと思います。

三 この様にして、僕は、警察の捜査を撹乱させる目的で、B君の頭部の口にくわえさせる手紙を完成させました。僕は、B君の首をT中学校の正門に置きに行くためには、家の者が寝静まった夜中がいいと思いましたので、夜中になるのを起きて待ちました。そして、正確な時間は覚えていませんが、平成九年五月二七日の午前一時頃から午前三時頃までの間に、B君の首を置きに行ったのです。僕は、B君の首を置きに行くために、まず、僕の部屋の天井裏に置いているB君の首を入れた黒色のビニール袋を取り出しました。そして、僕は、B君の首にくわえさせる手紙をジーパンのポケットに入れました。天井裏から取り出したB君の首を入れた黒色のビニール袋は、そのまま補助カバンの中に入れました。僕の部屋は二階にあり、一階に降りるためには階段を降りなければなりません。しかし、僕の家の階段は、上り下りするとギィーという音がしますし、両親の部屋は、その階段のすぐ側なので、階段を降りて行けば、両親に見付かってしまう可能性があると思いました。そこで、僕は、僕の部屋の窓から外へ出ることにしたのです。でも、重たいB君の首を持ったままで、窓から外に出るのは難しいと思いました。そのため、僕は、僕の机の中から電気コードを二、三本取り出し、それをつないで、片方の端をB君の首を入れている補助カバンにくくりつけ、それを庭まで降ろしました。その後、今度は僕が窓から外に降り、先に降ろした補助カバンを持って、自転車置き場まで行き、僕が使っているママチャリの前のカゴの中に、その補助カバンを入れました。そして、ママチャリに乗って、T中学校の正門に向かって行ったのです。僕の家からT中学校の正門までの道順については、今検事さんから受け取った地図に赤のボールペンで書き込みました。
〔この時本職は、被疑少年が任意に作成し、提出した図面を受け取り、資料二として、本調書末尾に添付することとした。〕
 T中学校の正門の手前は、今地図に書いたように、車道ではなくて、歩道を通って行きました。僕の家を出た後、T中学校の正門までは、誰とも会いませんでした。

 四 T中学校の正門前まで来た僕は、自転車を正門前に停めました。その後の状況については、今図面を書いたので、それに基づいて話します。
〔この時本職は、被疑少年が任意に作成し、提出した図面を受け取り、資料三として、本調書末尾に添付することとした。〕
 僕が、T中学校の正門前に来て、自転車を停めたところは、図面では自転車と書いた付近だったと思いますが、正確な位置までは分かりません。自転車を停めた後、僕は、自転車の前カゴに置いていた補助カバンの中から、B君の首を入れた黒色のビニール袋を取り出したのか、あるいはB君の首だけを取り出したのかまでは、はっきり覚えていませんが、とにかくB君の髪の毛を持って、その首を取り出しました。T中学校の正門は、図面に書いたように、右側に塀があり、その左側に横に押す鉄の扉がありますが、その扉は閉まっていました。僕は、まず正門の右側の塀が目に入ったので、その塀の上にB君の首を置くことにしました。僕は、B君の頭部の首付近を両手で持って、背伸びをしながら、その塀の上にB君の首を置きました。そして、塀の上に置いた首が、どの様な感じに見えるのかと思い、二、三歩後ろに下がって、B君の首を見たのです。ところが、その時、B君の首の据わりが悪かったのか、B君の首が手前に落ちて、地面に落ちました。僕は、まさかB君の首が落ちるとは思っていなかったので、一瞬B君の首が塀の上から消えたと思い、下を見るとB君の首がありました。地面に落ちた時に、音はしたと思います。B君の首が転がったかどうかまでは覚えていません。B君の首を塀の上に置いた場所は、図面で「まる1」と記載しました。そこで、僕は、B君の首をどこに置こうかと考えましたが、正門の前だと、一番目に付くところだと思いましたし、地面の上ならば据わりもいいだろうと思い、B君の首を持って、正門の鉄の扉の中央付近に、顔を道路側に向けてB君の首を置きました。図面で言うと「まる2」付近でした。B君の首を置いた後、僕は、ジーパンのポケットに入れていた手紙を取り出し、B君の口にくわえさせました。手紙の向きは、丁度酒鬼薔薇聖斗という文字が見えるように、縦にくわえさせました。「酒」という文字の方を口にくわえさせたのです。そのくわえさせた様子を僕は五、六分位眺めていました。その間、僕は、学校の正門前に首が生えているというような「ちょっと不思議な映像だな」と思って見ていたのです。

 五 B君の首を五、六分位眺めた後、僕は、再びママチャリに乗って家へと帰りました。家に帰った後は、やはり家の側にある鉄の棚を利用して、窓から二階の僕の部屋へと戻りました。部屋に戻った後は、眠たくなかったので、朝まで起きていました。
   問 五月二七日午前五時頃に、T中学校の正門に来た人が、B君の首はなかったと話しているようだが、その点はどうか。
   答 単なる思い違いです。何故なら、僕の親は、午前五時頃には、台所にいるので、とてもその様な時間帯にB君の首を持って家を出ること等不可能なのです。少なくとも午前三時頃まででなければ、親に知られずに行動することは出来ないのです。従って、B君の首を正門前に置いたのは、遅くとも午前三時頃までだと思います。その後、五月二七日のテレビを見ていると、その日の内にB君の首が発見されたことが分かりました。B君の首が発見されるように置いたのですから、その点については、当たり前のことなので、何とも思いませんでした。ところが、その後、その日の内に、「タンク山」のケーブルテレビアンテナ施設の「局舎」の床下に隠していたB君の胴体部分も発見されたのです。このニュースを見た時は、正直言って、「早すぎる」と思い、びっくりしました。僕は、今回の事件を起こす前から、いつも新聞の番組欄と三面記事の欄は見ていましたので、今回の事件を起こした後も、新聞記事を読んだりしました。また、テレビ等も見たりしたのですが、連日、B君の事件の報道は、大きくなされていました。それらの報道を読んだり見たりした僕は、僕が思った通りに、マスコミは、犯人像を三○代から四○代の男としたり、黒のブルーバードが目撃されたとか、犯人は××(自宅近辺)地区以外の人間である等と報道していました。しかも、その報道の内容は、ほとんど嘘でした。ここまで上手く行ったので、そうなると僕は、今後何をしても、僕が犯人だということは分からないだろうと思うようになりました。はっきり言って、調子づいてしまいました。そこで、僕は、新たに「神戸新聞社宛の手紙」を書くことにしました。その状況については後日申し上げます。
   (署名・拇印)
   (以下略)

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